20170115


 性的な楽しみの中で、ノーマルなセックスや性的な遊びではなく、主従関係を前提として性的な悦びを求めていく一つが”調教”という価値観である。

 それは、まず言葉でのコミュニケーションから始まっていく。


 
 最初は、一つのステップとして上限関係を作る。上司や部下、先輩と後輩、に似た関係性が言葉遣いや命令や指示で、信頼関係や情報交換をして、お互いの距離感や趣味趣向を分かり合えていく。

tejo0176


 ひとまず、ここで簡単なことや、どうでもいいことに対して、すんなり従わずに、断ったり言葉を濁したりする女性がいるが、その時点で調教には向かないことがわかる。性的な快楽を得るためには、自分のありのままの精神や姿を見せてしまわないといけない。犬が飼い主に急所である腹を見せて媚を売るのと同じで、自分自身を差し出す行為こそが、調教が始められる大前提であり、体の芯が熱くなるような気持ちよさを得ることはできない。
 そもそも、ここのステップが越えられないのであれば、その女性はマゾの資質はほとんどなく、単純に性的な気持ちよさが好きなのであって、自分の気持ちよさは自分発信で得て、自分が気持ちよくなりたい時に気持ちよくなるという、サディステックな要素をもっていることになる。

 言葉でのやり取りの中で、調教が可能かどうか、それと調教を受ける側も、主となる人物が従うに足る価値観を有しているかを推し量ることができる。

 そして、徐々に世の中に一般的に存在する上司部下や先輩後輩という上下関係から、主が命令を下しそれに従うという主従関係に移行していく。

tejo0059


 主従関係には、単に追い込むことで性的な興奮を作り上げるのではなく、環境としての安全は担保されていなければならない。一般生活から抜け出し、命令を受けて実行し、興奮を味わい、余韻を楽しみ、そして一般生活に戻る。この一連の流れが安全に運行され終了することが何よりも大切なことである。それは、心身ともに最終的には性的な満足につながるための必要最低限の要素である。

 ここまで読んでわかると思うが、安心できる非日常の世界に、自分を差し出し快楽を楽しむことが、調教の入口ということになる。

tejo0109


 その非日常の世界に入って、命令や指示を受けて、羞恥心や日常感覚を壊して、その反動で体が勝手に反応する。自分の体の制御=コントロールを主に預けて、自分は性的な興奮と服従から滲み出る安心感で、自分のすべてを解放することができるのである。
 日々、せせこましく働き、生活時間に追われて、息つく暇なく動かないといけない環境を離れて、自分を預けて気持ちよさを心おきなくほうばることができるのだ。

 それこそが調教なのである。

…↓クリックしたら不思議なエロい世界。